移住者体験談
Aさん
移住先 | 須坂市 |
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職業 | 農業 |
移住のきっかけは?
こんにちは。2017年6月から須坂市豊洲地区で活動している地域おこし協力隊の成田あゆみです。
私が活動している豊洲地区は長野県でも有数の果樹地帯です。
そこで、豊洲地区に嫁ぎ農家となって活躍する魅力的な女性を紹介します。
今回は豊洲地区に住んでいるAさん(匿名希望)にお話を聞きました。
Aさんは東京生まれの東京育ちで就職も東京でしており、農業はおろか、長野県とは全くの無縁でした。そんなAさんが今のご主人と出会ったのもまた東京でした。
当時ご主人はモデルや役者の仕事をしていて、友人を介して出会ったそうです。
お付き合いが始まり、結婚を意識するようになってから実家が農家であること、いつか帰って農家を継ぎたい気持ちでいることを知りました。
当時のAさんは、服飾関係のモノを作り出すことに携わる仕事をしていました。
その職場の社長から「農業ってクリエイティブだよね」といわれ、目からウロコが落ちたそうです。「モノづくり」の根幹が同じなら誰にとっても必要な、「食べモノ」を作るのもよいかも知れないという気持ちになったそうです。
その後子どもが生まれ、職場への復帰を検討していた時期に諸事情が重なり、Aさんが想像していたよりはだいぶ早く長野へ来ることになったようです。
しかしその当時、ちょうど世間でも農業がブームになり、Aさんの周りでも就農や地方移住をする人がちらほら出ていたそうで、Aさん自身も実は農家にちょっと興味があったことも相まって、すんなり一家3人で豊洲地区に移住してきました。
実際に農家になって
実際に農業に携わるようになったのは3年ほどたってからだそうです。それまでは子育てに専念していて、そろそろ良いかなと思えたのがそれくらいの時期だったそうです。
畑に出てみてまず思ったことは、やはり「りんごがおいしい!!」だったそうです。
「畑でその場でもいで切ったりんごがすごい!切り口にストローさしたらそのまま飲めるんじゃないかというくらいジューシーでびっくり」したそうです。
畑で木からもいだ瞬間から鮮度が失われていくんだということを実感したそうです。
また、独身時代に携わっていた服飾の「モノづくり」よりも、「りんごづくり」の方が間口が広いことに気付いたそうです。
作ったものを食べてもらえるのはもちろん、体験をすることもできる、何より無駄が出ないことがとても嬉しいそうです。
あと不思議なことに、「体を壊した人の体はりんごを求める」と言います。Aさんがお世話になった会社の先輩で、癌で亡くなられた方がいたそうです。
その方は、胃を3分の2切除していてもりんごだけは最後まで食べることができたそうで、Aさんはりんごを求められたときは、その時の最高のものを送ったそうです。
そのときに「りんごって人間が生まれてから死ぬまでずっと食べられるモノ」なんだと感じたそうです。
農業とは?
この質問にAさんは「私は農業を語るにはまだ経験も勉強も不足している」といいました。
それでも一言にすると「生活」だそうです。人の役に立っている、人が喜んでいるといった気持ちもあるけれど、やはり生産農家としては、生活するためにりんごを育てているのだといいます。
それでもその中に楽しさややりがいが出来たらよい、それには経験も勉強も不足している、ということなんだそうです。今は言われたとおりに作業をやっているけれど、少しずつ自分で考えながら判断できるようになりたいといいます。
それともう一つ、気候のことも口にしていました。今年は3回も台風が来たのですが、これだけは対策のしようがない、神頼みであるとおっしゃっていました。
東京に住んでいたころはそこまで強く意識をしたことはなかったけれど、豊洲地区に来て気づいたのは祭りが多いこと。五穀豊穣を願う神事や祭事が人々の生活に寄り添っている、大切にされていると気づいたそうです。
Aさんも、台風の予報が出ると思わず神棚を拝んでしまうそうです。
Aさんのお話はこれで終わりです。いかがでしたか?
Aさんはなんとなく流れに乗ってきたんだとおっしゃっていましたが、それだけではない努力や苦労もあったと思います。
私はそれを感じさせない明るいAさんが素敵だなと思いました。