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<須坂市移住者インタビュー>Uターンの大きな壁は転職への覚悟と勇気

須坂市仕事

Kさんは首都圏から須坂市にUターンして11年。奥さんと一緒に地元に戻った後にお子さんが誕生し、現在は自分が育った須坂市で5歳と2歳の二人の子育て真っ最中のお父さんです。地元に戻ろうと考えた当時を振り返ってくれたKさんのコメントには、Uターンへのきっかけや乗り越えるポイントがありました。現在Uターン移住を検討している皆さんは、ぜひ参考にしてください。
百々川

●大学進学で東京へ
「須坂市内の高校を経て大学進学のために上京し、そのまま東京で食品メーカーの会社に就職し開発部門で勤務していました。その後、結婚を機に埼玉県に住居を移しましたが、同じ首都圏の電車通勤で30分ほどの便利な距離でした。仕事も順調で充実していた当時は、地元に戻ることなど想像もしない生活を送っていました」

●Uターン移住のきっかけ
「30歳を過ぎた頃、自分には地元に両親がいる、家や土地がある、どうしたらいいのかと振り返り、具体的に先のことを考えるようになりました。Uターンするにしても定年後なのか今なのか、両方の選択肢で迷っていました。当時まだ子どもはいませんでしたが、成長してからのUターンでは転校させることになってしまい可哀想だと思いました。自分自身の転職については、年齢が上がるほどやりたい仕事に就けるのだろうかという不安もあり、家族を養っていく収入のことを考えると40歳までに転職して戻った方がいいのかもしれないという思いが明確になっていきました。両親から戻って来いと言われたことはなかったのですが、自分から将来のことを考え始めたのは、普段から地元や両親のことが頭から離れることがなかったからかもしれません。妻もその思いに賛同してくれたため、次の行動に移すことが出来ました」
公園で

●移住には勇気と覚悟
「家庭も仕事も順調だったため、それまでUターンのことなど真剣に考えたことはありませんでした。まず最初に浮かんだ心配は『仕事はあるのかな?』ということでした。たまたま実家の両親から求職の情報を受けた際に「まずは受けてみよう」と思い立って行動に移しました。その結果採用に至り、勤務していた会社にも退職の意向を伝えました。転職先が決定した時はホッとしましたが、当時の仕事がとても充実していたため、先がまったくわからない中でその環境を捨てることには勇気が要りました。自分にとっては仕事を退職する決断が一番ウエイトを占めましたね。次の仕事が決まった時は、いよいよUターンが現実味を帯びてきたと実感しました」

●子どもが母校の校歌を歌う姿を思う
「須坂市にUターンして11年目になりました。今は子どもたちを須坂市で育てられて良かったと思っています。市内の臥竜公園や動物園の遊園地もよく利用しています。須坂市には里山も川もあって景色の変化が日々感じられます。子どもたちも思いっきり体を動かして遊ぶことができています」
遊園地
「Uターン以前の暮らしを思うと、須坂市の生活は都会の便利さには適いません。でも不自由さはないですね。便利さはなくても物を買い揃えることは出来るし、変わりない生活を送れます。車はあった方が楽しめると思います。都会の日々の暮らしでは、毎日行き交う人が違って、知り合いに会うこともありませんでした。でも須坂市は毎日顔馴染みの人に会います、それが田舎なんでしょうね。須坂市は自然が多い割に、そこまで田舎臭くなくガチャガチャしていない静かな環境、まさに自分が生まれ育ったのは「生活する場所」だと思います。今後は二人の子どもたちも自分の母校に通います。同じ校歌を歌う姿を想像すると今からうれしいです」
子どもたち

●おわりに
今回、Kさんの取材でも「先が見えず不安だった」という言葉が印象に残りました。日頃の移住相談でも、多くの方が抱えている課題は、移住先での仕事の決定と決断です。Kさんも、これまでの仕事を退職していいのか、この先は本当に大丈夫だろうかと決断までに相当な負荷がかかったと話してくれました。先が見えないことで不安が生まれ決断できないこともあると思います。しかし、移住を果たした皆さんは、それを希望に変えて乗り越えた部分が大きいかもしれません。「生まれ育った場所に帰りたい」という強い思いが後押ししてくれるのがUターン移住なのでしょう。納得できる転職もその思いが背中を押してくれるのかもしれません。

(須坂市移住・定住アドバイザー 豊田貴子)

 

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