阿智家族 暮らす、生きる。
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サークル仲間であると同時に、ふたりの接点は家族全員が〝山〞好きだったことにある。大学卒業後、山小屋で働いていた経験があるのも興味深い。 小塚 「穂高の山小屋で働いて4年目頃だったでしょうか、楽しいけれど家庭を持ったら続けられる仕事ではないなと感じていました。山小屋での食事は冷凍がメインでしたから、やはり自分で作って、自然の中で生活できるという想いの先に農業があったわけです」 品川 「わが家は、両親が音楽家でありながらワンダーフォーゲル部で出会った山好きのふたり。私も山が大好きになり、三俣山荘という北アルプスにある山小屋で3シーズン働きました。4ヶ月の短い営業期間で四季のうつろいを感じることができ、その環境の中で多くのことを学びました。一生の仕事として働きたかったのですが、季節労働であるゆえの不安定さもあり、続けるかやめるかとても悩みました。四季の変化を肌で感じながら自分を表現することができる″農業〞は素晴らしい仕事だと思い、有機農業が盛んに行われている埼玉県小川町で農業研修を受けることにしました」小塚 英且さん(34)㊧品川 雄さん(34)㊨ひでかつたけし山小屋で働きながら見えてきたこと。同じところなら、おもしろいことができるかもしれない。とここに移り住むことを決めました。農業といっても、いろいろなやり方や暮らし方があることを知ってほしい。阿智村伍和地区で農業を営む小塚英且さんと品川雄さんは、大学の同じサークルで知り合った仲間。とはいえ、阿智村はおろか南信州に縁のなかったふたりが、なぜここに移住して農業を始めようと考えたのだろうか。ごかひでかつたけし04ACHI KAZOKU
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