移住パンフレット安曇野暮らしのスゝメ
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9 移住者の声 私が安曇野で農業を始めたのは、信州大学を卒業し近隣の農業法人にお世話になった後、三郷の知人の土地を借りてからです。始めたころは、技術もなくお金もなく、雑草と残飯と牛糞を混ぜて堆肥を作り、それを撒いて野菜を育てていました。ところが、この野菜が思いの外美味しく育ったのです。数年後には加工トマトも小麦や大豆との輪作有機栽培となり、稲は合鴨農法に切り替えて農薬も化学肥料も不要になりました。安曇野の気候風土に感謝しています。 間もなく地域の若い農業者と協力して、「有機農家は孤立した変わり者ではない」ことを宣伝しながら、販路拡大と理解のために動き出しました。農業体験や料理教室や食品加工、マルシェや軽トラ市などで消費者と交流を続け、最近では小学校と協力して、合鴨農法稲作りの食農教育をサポートしています。バジルクラブはこうした活動の企画、提案、援助をしています。 有機農業だけでなく、生活や気持ちまで循環するような「(住)環境保全型農業」。15年間安曇野に暮らしている中で、生活も農村の住環境に寄り添い融和して行くことが大切だと実感しました。田の畔草を地主や隣人が刈ってくれたり、合鴨が逃げていたら戻してくれたり、子供が小さい時は隣のおばあちゃんが留守中に預かってくれたりなどなど。農村の許容は掛け替えのない住環境であり、豊かさのバロメーターとも思います。 昔から様々な人が移住してきている安曇野市。個性を尊重しつつ折り合うことに慣れている市民には、ホスピタリティーの精神が自然と宿ります。住環境を良くしたいと思う一人ずつの気持ちが強ければ、個性の輝く柔軟なコミュニティが生まれることでしょう。先に移住した我々や行政は、こうした個性こそ将来の資源として、育て絶やさぬ努力をするべきです。 なろうひとつずつに。そしてひとつに。鈴木 達也 さん移住前の居住先移住した年現在のお仕事埼玉県2000年農業酒造業:::みさと

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