移住者体験談
西村 聡司さん(京都市出身)
移住先 | 長野市 |
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移住年月 | 2010年 |
年代 | 30~40代 |
家族構成 | 夫婦 |
職業 | 会計事務所勤務 |
自然を満喫する山暮らし
長野市内の会計事務所で働く西村聡司さん。週末には飯綱高原にある自宅でのんびり過ごし、敷地の草を刈り、あるいは冬に備えて薪を割り、日が傾けば近くの温泉で湯に浸かります。
長野へ移住して7年、飯綱高原に家をかまえて4年が経ちました。以前は妻の栄里子さんとふたりで頻繁に山登りをしていましたが、今は年に2〜3回、北アルプスへ行く程度だといいます。
なにしろ家は森のなか。庭先には豊かな自然があふれ、春にはフキやコシアブラなど山菜が次々と芽吹き、秋にはジコボウなど天然のキノコが顔を出します。 キツネやリスも訪れる庭にフクロウを営巣させたいと、自生するシラカバの木に巣箱をかけ、庭に自作したピザ窯では、パンもスコーンも焼きます。
ここでは時間がゆっくりと流れ、聞こえてくるのは鳥のさえずりと、遠くで響くチェーンソーのうなり。わざわざ出かけずとも、山暮らしを存分に楽しめる環境なのです。
長野は週末ごとの脱出先だった
西村さんは京都市内の大学を卒業後、東京都内のコンサルティング会社に勤めていました。やがて「東京はしんどいな」と感じるようになり、ご本人いわく「週末ごとに長野へ脱出」するようになります。
子どもの頃は、夏休みは母親の実家である岐阜県の田舎で過ごし、冬になれば家族で野沢温泉へスキーに来ていました。
父親は北アルプスを縦走するような山好きだったそうですが、西村さん自身も20代後半から山に魅せられ、あちこちの頂きを目指すようになったのです。
そして一緒に山を登っていた栄里子さんとの結婚を決め、ふたりの大好きな地である白馬で挙式。そして移住を決意して、8年半勤めた会社を退職しました。
仕事では、もっぱら大企業が相手でしたが、もっと身近な小さい会社の役に立ちたいとの思いから、中小企業診断士の資格を取得していました。地方への移住を決意する背景には、働き方を変えてみたいという思いもあったのです。
移住の決め手は市街からの好アクセス
移住は決めたものの、転職先が決まっていたわけではありません。経歴を生かせる転職先をいくつか心づもりするなかで、最優先候補地は長野市でした。「山や自然に魅せられていたから」と西村さんは言います。
いざとなれば京都に戻ろうとの思いもありましたが、無事に転職を果たし、長野市へ移住します。
長野市郊外の住宅地にある借家から長野暮らしはスタートしました。ある日、訪ねた飯綱高原が、西村さんは気に入ります。中心市街地からたった30分で標高1000mの山のなか。豊かな自然環境はもちろん、アクセスの良さが何よりの魅力でした。
「通勤できる範囲に、自然豊かでこんなに素敵な場所がある」。そして西村さんは飯綱高原に家を建てました。
ここでの暮らしに不便はないかとたずねると、「町までは車で30分だし、途中の産直で野菜や果物も買えるので、全然不便はないですよ」と西村さん。
もうひとつ気になるのは雪の多さですが、「確かに雪かきは大変ですが、その代わりに白一色で物音もしない静かな時間が過ごせます」とのこと。冬にはチェーンソーどころか鳥も声を立てず、聞こえてくるのは風の音と、雪の落ちる音。
除雪機や薪割り機が「便利そうだなー」と思いつつ、「可能な限りは手作業でやろうと思っています」。庭の一角には、ふた冬は越せそうな量の薪が積み上がっていました。これはすべて手斧で割ったものです。
自分たちの暮らしを、自分たちの手で楽しみながら営む様子が伝わってきます。
メッセージ(長野でよかった!)
会社員として勤務しながら、自然のなかで暮らせること。通勤は車で30分です。東京勤めでの東海道線の混雑を思えば、天と地ほどちがう快適さ。通勤途中に雲海が見えることもあります。