移住者体験談
金井 祐子さん(東京都出身)
移住先 | 長野市 |
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移住年月 | 2013年 |
年代 | 30~40代 |
職業 | イタリア料理店シェフ |
人気イタリア店のシェフ
オステリア・ガットは、長野駅前で人気のイタリアンの店です。長野県産ワインの品ぞろえは県内随一。ワイン好きには知られた店ですが、何より訪れる人を魅了するのが、その料理です。
「身体が喜んでいる」「ガッツリ食べても罪悪感がない」
そんな感想がもれ聞こえてくるのは、シェフの金井祐子さんが野菜づかいの達人だから。クリーミーなチーズ類や、旨味の濃厚な肉料理を食べても、歯ざわり良く、素材そのものを活かした野菜のおいしさが、料理全体の印象をさらいます。
松代一本ネギ、綿内レンコン、村山早生ゴボウなど、信州の伝統野菜も含めた長野の野菜のおいしさに、誰よりも魅了されているのが金井さんご自身なのです。
「長野は野菜が豊富で、幸せです。地物ももちろんですが、例えばカステルフランコとか、イタリアで買うしかないと思っていた野菜が、身近で採れたり。料理の可能性が広がります」
ちなみにカステルフランコとは、チコリの仲間で、バラのように美しい葉野菜のこと。イタリアのヴェネト州をおもな産地とする冬野菜で、かの地でも高値で取り引きされるそうです。
父の教え、そして料理の道へ
金井さんは東京都のご出身。高校は家政科へ進学しました。在学中に難関の調理師検定1級に合格。その時点で料理の世界で生きていくことを決めました。
料理の道を志した背景には、父親の影響もあったといいます。楽器修理の職人だった父親は、食べることを大切にする人でした。自ら朝食を用意し、新鮮な牛乳を求めて、わざわざ牧場へ行く。そんな姿を見ながら育った金井さんが料理人になったのは自然なことだったのでしょう。
こうと決めたら迷わず進む金井さんは、京都にあるイタリア料理店に直談判し、就職を決めました。京都を選んだのは、一流の和食を食べて学びたかったから。
「イタリア料理の道に進むとはいえ、和食のことを知っておいた方がいいと思ったんです。思いつきでしたが、京都でおいしい和食を食べまくったことは、今もプラスになっています」
そして卒業式の日に東京を発ち、祇園の名店へ。厨房で4年間働き、フランス料理店へ移ってホールを経験。さらに結婚式場のレストランへ移ります。そこの厨房で大勢のスタッフと関わる4年が過ぎた頃。長野の野菜と出会います。
野菜のおいしさに魅せられて長野へ
結婚式場レストランで働く同僚の中に、実家が長野市で八百屋を営む人がいました。試しに仕入れた野菜のおいしさに、金井さんはすっかり魅了されます。
「今まで何を食べていたんだろうと思うくらい、本当においしかったんです。それからは京都の店なのに、長野の野菜ばかりを使うようになりました。それくらい好きで、好きで」
その八百屋とは、長野市松代の「カネマツ」です。大正初期創業、信州の伝統野菜を扱うことでも知られ、今は若き主が家族と店を切り盛りしています。
野菜への思いは高じ、金井さんはカネマツで野菜のことを学ぶため、とうとう長野市へ移住してきます。とはいえ、当初は1年の約束でした。店で扱うお惣菜の調理と、契約農家の手伝いがおもな仕事。それでは料理の腕が鈍るので、飲食店でのアルバイトをさがすなか、出会ったのがオステリア・ガットでした。
「野菜のことを勉強したら、東京に戻って独立しようかなと思っていました。でも、長野の人はみんないい人だし、出回っている野菜は新鮮だし、このままずっといてもいいなと思うくらい、長野が好きになっちゃいました」
長野市へ移住して、4年が過ぎました。2014年からは地元テレビ局の番組で、料理コーナーを担当しています。
かつては野菜がそれほど好きではなく、表に出ることに抵抗があった金井さんですが、人との出会いが、そして長野の野菜が、その生き方を変えました。
今も「食べることをおろそかにしてはだめだ」という父親の言葉を胸に、健康でいることを一番大切にしている金井さん。そんな彼女の作る料理を食べた人が「身体が喜ぶ」と感じるのは、やはり自然なことなのでしょう。
メッセージ(長野でよかった!)
野菜がとにかくおいしい! そして身近でいろんな野菜が採れます。どなたかに栽培をお願いして、長野県産のイタリア野菜がそろうようになったら、楽しいですよね。