移住者体験談
植野 翔さん
移住先 | 長野市 |
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移住年月 | 2007年5月 |
年代 | 30代 |
家族構成 | 夫婦と子ども3人 |
職業 | 信級玄米珈琲代表,農家,炭焼き職人 |
移住したきっかけ、今の地区の生活は
大学卒業後は農業を生業にしたいと考えて、学生時代から縁があった長野市信更町へ2007年5月に移住しました。妻とは長野に来てから結婚しました。信更町に住んでいるときに隣の信州新町信級(のぶしな)地区の炭焼き職人の方と出会って、自宅に遊びに行く機会がありました。崖のような山道を車で上っていくと、目の前にぱっと集落が開ける感じがとてもよかったです。日本の原風景がそのまま残っているような場所で、いいところだなと思って2009年1月に信級地区に引っ越しました。
信級地区は規模がちょうど良く、とても居心地がいいです。
住んでいる人はお年寄りが多いので、自分たち若手は何かと重宝がられて受け入れてくれました。向こうからすると自分たちは赤ちゃんみたいな存在だから、いろいろ大目にみてくれているのかと思います。
こちらもできることは貢献したいという思いになります。そういう関係があるから生活しやすいのだと思います。
移住してよかったことは
一番は自然の中で暮らせること。水がおいしいこと。
自分たちの暮らしの大部分を自分で作ったり、知っている人が作っているものによって生きているのが、居心地がいいです。
田舎はのんびり過ごせるイメージがあったけど、全然そんなことなくて、都会と違っためまぐるしさがあります。季節や天気でその日にやることが決まるので、自分が何の一部なのかをすごく感じています。「今日は寒くて水道が止まっちゃった(信級の水道は住民が山から引いています)」とか、原因が分かりやすいので納得して生活することができます。それが楽しくもあり大変でもあります。それは生活面でも育児面でも同じで、自然とか地域の一部で生かされていることを日々感じています。
なぜ玄米珈琲を作ろうと思ったのですか
農業は、冬の間はあまり仕事がないので、炭焼き職人の方の手伝いをしていたのですが、自分の炭窯を一緒に作ってもらうことになり、炭焼きを始めました。炭の余熱がもったいなくて、色々と試していく中で、自分が育てた玄米を焙煎するようになったんです。原材料もエネルギー源も地域産の商品を作れるなと思い、玄米珈琲の商品化を試みました。1年程、焙煎や粉砕を試行錯誤しながら商品化し、販売をはじめました。販売開始後2年程過ぎた頃、デザイナーやウェブ専門の友人達に手伝ってもらい「信級玄米珈琲」というブランドに仕上げていきました。WEB直販の他、東京や長野等のカフェや雑貨店におろしています。
玄米珈琲は玄米を焙煎して作った飲み物なので、カフェインゼロで、玄米の栄養も消化吸収しやすくなっております。体にやさしく、妊娠中の女性、子どもやお年寄りまで幅広く飲んでもらえます。
信級玄米珈琲と、地域のこれから
今は広い面積の田んぼを耕作していますが、できるだけ面積を減らして楽しめる範囲の農業にしていきたいです。自給プラスアルファ程度の小規模で趣味的な農業をする移住者を増やし、その人達が育てたお米の余剰分を買い取って、玄米珈琲に加工する形が理想です。
信州新町はどこも人材不足なので意外に仕事はあり、手に職を持った人じゃなくても、そういう暮らしはできると思います。うちも早く雇用の受け皿になれるようにしたいし、農業に関してもできる限り協力していきたいです。
今まで地域の人に色々と手助けしてもらった分、次の人に色々と手助けしているつもりです。実際に少しずつ移住者も増え、(親切の輪をつなぐ)ペイフォワードのバトンが回っている地域になってきているような気がします。信級では大昔からそれが当然のことのようになされてきたのかもしれません。
もっと移住者を増やしたいのですが、貸してもらえる空き家が無くなってきたのが悩みの種です。
移住を考えている方へメッセージをお願いします
地元の人は、地域のためにいろいろやる、お互いさまの精神があります。移住者とは違うレベルでそれが染みついています。自分勝手にならずに行動する、「郷に入っては郷に従え」でしょうか。そうはいっても、自分がやりたいことをやるために移住しないと苦しくなるので、その気持ちを一番に考えつつ、地域の一員だという感覚をもって移住した方がいいです。お互い様で、暮らしも豊かになってくると思います。
信級玄米珈琲 http://nobushina-coffee.com/