移住者体験談
角 りわ子 さん
移住先 | 東御市 |
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移住年月 | 1993年 |
職業 | 陶芸家 |
ここの土を掘りだしてみたら、面白かった
もともとは美術の仕事に関わりたくて、大学では美術史や芸術論を勉強していたんですがやっぱり面白くなくて(笑)
職人なら努力してなれるんじゃないかと思って、陶芸を始めました。
4年間、京都の清水の窯元で働いたあと、タイに1年滞在して現地で技術指導を行っていました。
こちらへの移住はタイから帰国後、アルバイトしていた京都のバーに水上勉先生(※)がいらっしゃったのが一番のきっかけでした。
先生は当時の北御牧村八重原の勘六山に別荘を構えていらっしゃいました。
そのころ、タイに関する作品を書いていらっしゃっていて、タイに詳しい人を探していました。
かつ、勘六山に構えた窯の窯守も探していたんです。そこで私がちょうど条件に合致したというわけです。
京都って陶芸のための材料がとれないんですよね。タイでは山にある土や灰などを使って作品を作るんですけど、そういうことをやりたいなあと思っていたんです。
そんな中、水上先生にすすめられて、ここ勘六山の山土を掘り出してみたら、これが面白くて。1993年に当時の北御牧村に来ました。
※水上 勉
小説家。1919年、福井県生。幼い頃寺に修行に出されるが還俗し、様々な職業を遍歴しつつ小説を書く。昭和36年に「雁の寺」が直木賞を受賞。その後、数々の作品を発表、受賞を重ねる。晩年は長野県北御牧村(現在の東御市)で過ごし、意欲的に執筆活動を続けた。2004年没。
人に対して排他的じゃない
こちらへ来たころを思い出すと、水上先生の存在があったのでこの土地には入りやすかったと思います。私自身も鳥取県出身で、田舎の出なので、そのへんの流儀は分かっていた様な気がします。
私が住んでいるこの八重原地区は、地元のひとたちがいい意味で結束していないので、人に対して排他的じゃないと感じます。結構移住してきてるひともいますし。
外から来た人たちのコミュニティもうっすらあって、新しく来た人を気にかけたりする文化もあります。
誰に対してもウェルカムな土地だと思います。その面からも本当にきてよかったと感じます。
都会と往復する暮らしができる
ここはなんせ、人がいい、気候がいい、食べ物がいい。
本当に八重原は素敵な場所なので、たくさんの人に来て欲しいです。災害も少ないですし。
ここは台地だから、せいせいしてる印象です。フランスのプロヴァンス地方みたいって表現する人もいますよ。空気も乾燥しているから、お布団がじめじめしませんよね。寒いけれど、湿度が低いのであまり感じない。京都の冬のほうがきついと思います。
あと、都心からのアクセスがいいですよね。交通の便がすごいいい。新幹線の駅も近いし、高速のインターもあるし、2時間で練馬にもつく。
月1回、銀座で陶芸の教室をやっているんですが、家からでてジャスト2時間につきますし。
都会を往復する暮らしができるっていうのはここならではの魅力じゃないかなと思います。
都市で生活するひとたちって、やっぱり東京に帰りたいこともあると思います。そういう生活が東御市ではできますね。
自分の直感を信じて欲しい
人間って、行くべき道に行く気がします。これ以上これ以下っていうのがないと思います。
私はこの土に出会って、今やれていることがとても幸せだと思っています。
水が流れるがごとく、道は開いていく気がします。
自分が考える、正しい目的のために起こることに誠実に対応していけば、自ずと道がひらくと思います。
自分の直感を信じて欲しい。ここに来て、ここに住みたい、ここに住むビジョンが見えれば来て問題なんじゃないかと思いますよ。
頭で考えるとしくじる場合もあるかもしれません。縁に対しての直感ってすごく大事だと思います。
縁が来ているということに気がつくことも大事だと思います。